列車に立ったまま乗せられるアンネ家族やユダヤ人たち。
まず、ヴェステルボルク収容所を経てアウシュビッツ収容所へ送られる。
そこには、同じユダヤ人でありながら、ユダヤ人を監視するカポと呼ばれる監視役もいた。
カポという役割をするユダヤ人は実際に存在し、少しはいい待遇が出来たかもしれないが、死をまぬがれた訳でもなく、一定の期間後、ガス室送りにされていくカポも大勢いた。
話は少しアンネの日記とはそれるが、もうひとつの真実。
フリードル・ディッカーと子供達。
テレジン収容所では15000人もの子供達もいて、フリードル・ディッカーも収容されていたが、子供達に笑顔を取り戻したいと絵を教えていました。
ドイツ軍にとって、子供はただの労働力であり、働けないものは東に送られて二度と帰ってきませんでした。
彼女たちも最終的にはアウシュビッツでガス室にて死亡しています。
テレジン収容所に送られて生き残った子供はわずか100人ほどだったと言われている。
隠れ家の8人はアウシュビッツに集められた後、男女別々の収容所にわけられ、しばらくはアンネ・マルゴー・エーディット(母)の3人でアウシュビッツにいたとされる。
その間、エーディットは娘2人に自分のパンを分け与え続けた。
その後、アンネ・マルゴーはベルゲン・ベルゼン収容所に送られ、母はアウシュビッツに残り、餓死で死亡。
ベルゲン・ベルゼンはガス室などのある絶滅収容所ではなかったが、劣悪な環境でチフスが蔓延していた。
そのため、マルゴーが先にチフスにかかり死亡。その数日後、アンネも死亡している。
このような事実がわかったのは、アンネ・マルゴーの最後を看取った人の証言からである。リエンチェとヤニーという姉妹。
彼女らは生き残り、父親のオットーフランクにアンネ達の最後を伝えたと言われています。
有名なガス室では毎日、大勢のユダヤ人が殺されていきました。
ペーターの夫のヘルマンさんも同じ運命をたどったと言われています。
ペーターはマウトハウゼン収容所にて病気で死亡。
ペーターの母のアウグステはテレジェンシュタッド収容所までしかわかっておらず、その後は不明だが死亡している。
歯医者のフリッツ・プフェアーはノイエンガンメ収容所にて死亡。
黄色い蝶のダンス
8人いた隠れ家の人の中で唯一生き残ったオットー・フランク。
最後にミープ・ヒースからアンネの日記を渡される。
エンディング。
大掛かりな舞台装置、大勢の出演者・スタッフでの公演でした。
悲しい物語とまとめてしまうことも出来るけど、私達が伝えたかったのは、平和への祈りであり、こういう歴史があったということを伝えて行かないといけない、忘れてはいけないということだと思います。
壮大な音楽もステキでした。
「この青空 ある限り 人は幸せ見つけれる 夢は果てしなく 遠い彼方へ
運んでくれるの 幸せの蝶が
この命 ある限り 祈り続けていこう 夢は果てしなく 遠い彼方へ
咲かせ続けたい 平和のバラを」
(オープニング曲 バラに願いをより抜粋)
この公演にかかわったスタッフ・共演者、観に来てくださった方に
本当にありがとうございました!!
カメラさん、ステキな写真を撮っていただきありがとうございました!!